シグルイ

私は自分がいいと思ったことは人に勧めたくなる。逆にクソだと思ったことをボロクソにいいたい。しかし、同じように共感し、言える人間が今は周りにいない環境にある。いや、そもそも34年生きてきて、同じような価値観を持った人間にあったのは片手で数えるぐらいのもの。なので一方的にこちらから発信しようと思う。

そういった動機でこのブログを始めた。従って、これから見た、読んだ、聞いた、感じたことの感想をダラダラ垂れ流したいと思う。

 

さてまず一番はじめに書かなくてはいけないのは「シグルイ」。書きたいのではない。書かなくてはいけない。

 

私の中で電気が走った漫画がいくつかある。それはおいおい書くとして、「シグルイ」は私の人生で5指に入る漫画だ。出会い松本のブックオフだった。奥さんが何かの本を探している時に、手持ち無沙汰で立ち読みした時だ。名前だけは前々から知っていて、冷やかし半分で読んでみた。

 

衝撃だった。そのときは2巻の途中ぐらいまでしか読めなかったが、それで十分だった。絵は下手ではない。だが誰にも見やすい訳でなく、読む人を選ぶ絵。それが私に合っていた。残酷。それが過剰に表現されていた。しかしただ残酷なだけでない。なにかがそこにはあった。作者は異様に人のハラワタや肉体美に固執する。それがたった1巻で感じることができる。何を作者が書きたいのか。それを表現できたものが勝ちであり、価値である。

あらすじは書かない稚拙な私の文章で、この名作を汚したくない。全体の感想については漫画家の佐藤秀峰氏のブログを参考いただきたい。氏ははっきり言って人格に問題のある人だと思う。それは氏の作品を見ればわかる。しかし氏の漫画、そしてブログは非常に優れている。

氏はこう表現した。「私はシグルイに癒やされました」まったくの同感である。この作品を少なくない人間が賞賛していること。そしてある程度知名度があること。それだけで、自分は深海で一人佇んでいたと思っていたら、実は暗いだけで周りには誰かがいた気分になれた。

 

この漫画の好きなところ。それはよくある漫画のように強敵に立ち向かい、修行をし、倒したあげく、さらに強い敵に立ち向かうような内容ではなく、一人の相手、1つのことを極めわんとするところだ。これは火の鳥鳳凰編に通じるものがある。我王と茜丸。藤木源之助と伊良子清玄。内容は違うが、1つのこと、対照的な2人という軸を通して表現する点では似ている。

物語はただひたすらに藤木と伊良子の戦いを描く。途中いくつかの剣士との戦いは出てくるが、それは藤木と伊良子の戦いを熾烈にさせるためのもの。

一見して藤木が主役=正しいように見えるが、実は伊良子の方が正しい。藤木が封建社会における、侍の悲劇を体現しているのに対して、伊良子は現代の価値を擁している。人はその価値を出自や身分できめるのではない。階級社会を否定するために、汚いこともしてきた。よくよく読むとそうなのだが、これは漫画家の力で藤木はしっかり主役で、伊良子は悪役になっている。

私が一番好きなのは、やはり最後だ。見事としか言えない。なぜ藤木が刀を振りかぶるのか。なぜつばぜり合いになるのか、伊良子の首、そして三重の最後。これほどまでに壮絶でいて、絶望する最終話を私は知らない。

実はこの漫画を読んだあとそのとき話題となっていた「キングダム」を読んだ。はっきり言って、シグルイの後では対照的になってしまい、まったく面白く感じなかった。

いや、キングダム以外の作品に触れたが、何も入ってこなかった。それぐらいシグルイは壮絶で、今なお私を蝕む作品である。

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